こんにちは。
Madoriです _φ(・_・
私はいま、モーツァルトの「レクイエム ニ短調(死者のためのミサ曲)」を聴きながらこのブログを書いています。
その名の通り重々しい曲なのですが、悲しい気分のときにはこのような曲を聴くことが心の慰めになる場合もあるのです。
荘厳な鎮魂歌にしてそのハーモニーはとても美しく、聴いていて心地良さも感じるのです。
ポジティブになろうと気を紛らわすために無理に明るい曲を聴くとかえって苦しくなるのです。
それはきっと、自分の心に寄り添ったものではないからだと思います。
元クロアチア代表MFニコ・クラニチャール(34)の動向について父親ズラトコが「コーチアカデミーに通っているが、現時点では監督業をやるほど熱していない。すべてのサッカーの話題から休もうとしている」と明言。まだ本人の発表はないですが、記事では現役引退と捉えています。https://t.co/gy6lUBuovM
— 長束恭行/『東欧サッカークロニクル』発売中 (@nagatsuka_hrv) 2019年6月5日
本人発表ではありませんが、現役復帰はもう無いのだろうな・・・という覚悟はできていたつもりでした。
ですが、いざこのような知らせを受けるとファンとしてショックな気持ちを隠すことができません。
知ったのは昨晩でしたが、寂しいだけでは言い表せない喪失感から暫く放心状態で何も手につきませんでした。
知らないほうがよかったのかもしれない。
※ サッカー関連のニュースをなるべく拾わないよう心がけていたつもりでしたが
「現役引退」
大袈裟かもしれませんが、まるで自分が死刑宣告でも受けたかのような気分でした。
だから、私はいま「レクイエム」を聴きたいのかもしれない。
そして、思う存分泣きたいのだと。
以前、このような記事を書きました。
そっと見守ると決めたからには、彼の魅力を公開記事で積極的に発信することはできません。
それは彼の意に反しているような気がするから。
新しく出てくるプレイヤーを次々と追っていくのも楽しいかもしれません。
ですが、今の私がしたいのは、彼がこれまで魅せてくれたプレーを愛し続けていくこと、忘れないでいることなのだと。
彼は、オフサイドの意味すら知らなかった私にフットボールの楽しさ、美しさだけではなく、人としてこうありたいと思わせてくれる姿勢のようなものもみせてくれました。
この記事を書いてよかったです。
今は書き始めのような悲愴感はなく、彼のプレーを思い出しながら脳裏で楽しいバレエ音楽「ドン・キホーテ」が流れています。
※ ロシアのフィギュアスケート選手、アリーナ・ザギトワさんのプログラム使用曲でもあります(2017-2018 FS)
美しいひとは、クラシック音楽が本当によく似合いますね。
このバレエ音楽「ドン・キホーテ」は曲調がころころ変わる曲ですが、彼の卓越したボールコントロール技術、変幻自在かつ多彩で華麗なパス、優しく愛でるようなボールの持ちかたを連想するのにピッタリかもしれません。
この先も世界で一番大好きな、ずっと忘れたくない選手である想いに揺らぎはないと確信しました。
忘れることなんてできませんね^^
前回記事とまるで正反対なテンションの記事になってしまいましたが、 当ブログを訪れていただきありがとうございました。
Madoriでした (´ー`)