この旅のポイント
バチカン市国に次いで世界で2番目に小さな国「モナコ公国」へ、南仏のニースから日帰りで訪れた時の記録です。今回は「Monte-Carlo(モンテカルロ区)」といわれる、カジノやF1レースで有名な地区を訪れた時のことを紹介したいと思います。

南フランス旅行、7回目の今回は、ニースから鉄道を利用してモナコ公国を訪れたときの様子をお届けします。
初めての海外旅行で、初めての国境越えです。
とはいっても、南仏コート・ダジュールの玄関口、ニースから鉄道で30分、バスで50分くらいで行ける近さにあるので、あまり国境越え感はないのですが、出発当日は少し緊張していました。
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南フランス滞在記 4日目 ヴァンスにあるマティスのロザリオ礼拝堂|温かな光に出会える場所
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Contents
モナコ公国について
旅行記に入る前に、モナコについて調べたことを紹介したいと思います。
モナコストーリー
紺碧の地中海に抱かれるような「地中海の宝石」と呼ばれる、バチカン市国に次いで世界で2番目に小さな国。
それがモナコ公国です。
面 積 :1.95平方キロメートル
人 口 :32,000人
[ モナコ国籍 7,000人 ]
[ 外国人居住者 25,000人 ]
公用語 : フランス語
宗 教 : カトリック
モナコといえば、思いつくのはこれらではないでしょうか。
- きらめく太陽と海。
- F1グランプリ。
- カジノ。
- グレース・ケリー
モナコは世界のVIPや本物のセレブが集う高級リゾートとして知られていますね。
ヨーロッパの小国にすぎなかったこの国の名を世界中に轟かせた一人の女性がいました。
そのお方が、あの有名なグレース・ケリーです。
グレース・パトリシア・ケリー
(Grace Patricia Kelly)
1929年11月12日 - 1982年9月14日モナコ公国の大公妃。
もとアメリカ合衆国の女優。
同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」(cool beauty)と賛美された。
人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退した。
グレース王妃がモナコに嫁ぐまでは、モナコはモロッコと間違われるような無名の国だったそうです。
彼女はその存在感でモナコの名を高め、世界中の人をモナコに惹き付けました。
王妃はやがて3人の子を授かり幸せな日々を送っていたのですが、1982年9月、突然の悲劇が起こります。
王妃自ら運転していた車で交通事故を起こし、この世を去ることになってしまったのです。
シンデレラストーリーは永遠の伝説となりました。
その後、2005年11月にグレース王妃の長男、アルベール2世が第14代モナコ大公に即位しました。
モナコの地区
モナコには大きく分けて4つの地区があり、それぞれ独自の特徴を持っています。
- Monaco-Ville(モナコ市街区)
宮殿・政府のある中心地区で事実上の首都 - Monte-Carlo(モンテカルロ区)
カジノ・リゾート区 - La Condamine(ラ・コンダミーヌ区)
港湾地区 - Fontvieille(フォンヴェイユ区)
新興地区(ビジネス地区)
今回は、「Monte-Carlo(モンテカルロ区)」といわれる、カジノ・リゾート区を訪れた時のことを紹介したいと思います。
カジノ・リゾート区の見所は、やはりこちらではないでしょうか。
Casino de Monte-Carlo
カジノ・ド・モンテカルロ
Fairmont Hairpin
フェアモント・ヘアピン
F1で有名なコースで、「ロウズ・ヘアピン」とも呼ばれています。
ニースからモナコへ
前置きが長くなりましたが、ようやくここから旅行記です。
私たちはホテルを出てバス停に向かいました。
上の写真はニースのトラム(路面電車)ですが、ホテルからバス停まで近かったので、トラムは利用せず徒歩で向かいました。
アクシデント発生
バス停に到着し、モナコ行きのバスを待っている間、まさかの腹痛に襲われてしまいました。
バス停からホテルまで近かったので、いったんホテルへ戻り体調の回復を待ちました。
腹痛の原因は、これまでの旅行記でもふれてきましたが、出発する2週間前に日本で風邪をひいた時に処方された抗生物質の副作用によるものです。


1時間ほど経ったところで、持ってきていた胃腸薬が効いてきて、出かけられる状態まで回復しました。
ですが、せっかくモナコ観光のために早起きをしたのに、随分と時間のロスをしてしまいました。
そこで、バスだと1時間近くかかるので、モナコまで鉄道で向かうことにしたのです。
鉄道だと、ニースからモナコまで15分〜20分で到着です。
交通手段がバスしかなかったらモナコ行きを諦めるしかありませんでしたが、鉄道という手段があったのが救いでしたね。
出発
気を取り直し、ようやく出発です。
改めて、地図でも確認してみましょう。
ニースからモナコ、近いですね。
バスでも鉄道でも、地中海の絶景が眺められる村「エズ」を経由します。
エズ村を訪れた時の記事はこちら
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南フランス滞在記 3日目 絶景エズ村を50枚以上の写真で紹介!ニースを訪れたら絶対に行くべき美しい天空の村
再びホテルを出て、ニースの鉄道駅へ向かいます。
私たちは、パリとニースをTGVで結ぶ大きな駅「Gare de Nice-Ville(ニース・ヴィル駅)」ではなく、ホテルから近くにある、ローカル感漂う小さな「Gare de Nice-Riquier(ニース・リキエ駅)」を利用しました。
こちらが、そのニース・リキエ駅です。
駅でニース、モナコ間の往復切符を購入し、出発時刻になりましたが・・・。


フランスは時刻通りにこないとは聞いていましたが、本当に遅れてきました。笑
到着した列車の車両の古さに驚きましたが、車内はもっと驚きでした。
座席は、折りたたみ式の席しか空いておらず、これがとても座り心地が悪いのです。
そして、暗くて古い車両に窓ガラスは汚れていて、せっかくの地中海も霞んで見え、何だか難民、移民になったような感覚に陥りました。
さらに、乗車していたイタリア人女性が車掌さんと揉めだしたり、到着までの間、私たちは心穏やかではいられませんでした。
モナコまでの道中20分は決して長い時間ではないのですが、随分と長く感じられ、気分もあまり上がらなかったことを覚えています。

モナコ・モンテカルロ駅
モナコに着いたとたん、憂鬱な気分はどこへやら!?
とても美しい駅に感動してしまった私たち。
こちらは、駅のホーム。
クラシック映画にでも出てきそうなおシャレな雰囲気ですね。
駅のホーム全体も美しい。
少し画質が悪いですが、駅の改札を出てすぐの場所です。
駅の外に出てから、すぐ近くにあったバス停。
ニースとモナコの道路標識
初めての海外旅行で、初めての国境越え。
なんとなく道路標識を撮ってみました。
上の写真が、ニースで撮ったもので、下の写真がモナコで撮ったものです。
モナコ街歩き
カジノに行こうと思ったら道に迷い、どうやら逆方向に歩いていたようです。
ですが、そのおかげで大公宮殿とモナコの街が見渡せる景色に出会えました!
上の写真、右に見えるのが大公宮殿です。
そして、少し歩いていくと、ベル・エポック様式の装飾が施された豪華な5つ星ホテルが目の前に現れました。
Hôtel Hermitage
オテル・エルミタージュ
このホテルも、道に迷ったおかげで出会えた場所です。
目の前を通り過ぎただけでしたが、もう少し見ておけばよかったです。

こちらは、モナコの駅周辺です。
モナコが崖の中にある街というのがよくわかります。
モナコ・モンテカルロ中心部
モンテカルロ地区まで歩いてきました。
ここから、華やかなカジノのあるエリアをゆっくり散策したいと思います。
モンテカルロ地区の歴史
モナコを観光立国として発展させるきっかけになったのが、大公宮殿の東側に広がる、モナコ繁栄の拠点「モンテカルロ地区」です。
140年前シャルル3世の時代、フランスに国土の95%を奪われてしまいました。
残されたほぼ5%の土地が現在のモナコになります。
ほとんど平地の無い険しい崖ばかりの土地で、経済基盤を失ったモナコは貧しい小国に転落しました。
ですが、モナコ大公は、観光産業による国家経営の転換を図りました。
モンテカルロという名前は、「シャルルの山」という意味で、この地区を開発したシャルル大公の名前に由来しているそうです。
1864年、シャルル3世はカジノと保養地が一体となった高級リゾートをつくり、ヨーロッパの王侯貴族を呼び寄せようと考えました。
当時、フランスにカジノが無かったことに目をつけ、ドイツの保養地をモデルに建設したのです。
しかし、この大胆な起死回生策は周辺諸国の嘲笑を買うばかりでした。
そこで大公はフランスの新聞社などを使って高級リゾート「モナコ」の大宣伝を行いました。
その結果、カジノは大盛況し、ヨーロッパ各地の富裕層がモナコを目指すようになったのです。
これから、みなさんがよくご存知のカジノや高級ホテルが建てられた地区をお散歩してみましょう。
カジノ・モンテカルロ
目印の看板が見えてきました。
カジノに到着しました。
正面の大きな建物が「カジノ・モンテカルロ」です。
左に見えるカフェテラスは、Café de Paris(カフェ・ド・パリ)。


このカジノの建物は、何度も改修を重ねながら130年前の美しい姿を守り続けています。
この場所で、これまでヨーロッパ中の王侯貴族、プロのギャンブラー達が一攫千金を狙い、没落・恋愛・裏切りなどさまざまな人間模様を繰り広げてきたのです。
現在は観光客も増え、カジノを訪れるお客さんはさまざまで、ギャンブラーも世界的なVIPも雰囲気だけを楽しむだけの観光客もいます。

VIPルームでは、銀行家や政治家などがギャンブルと秘密の会話を楽しむそうです。
そして、この場所にカジノと棟続きの海が見えるオペラホールも建設しました。
手前がカジノ、奥に連なるのがオペラホールです。
カジノが大きくなると、次の目標は同伴のご婦人たちでした。
殿方たちがカジノに夢中になっている間、ご婦人たちを退屈させないために音楽ホールが必要になったのです。
そして、このオペラホールに求められたのは、装飾・音響効果・客・俳優など全てにおいて一流の空間を作り上げることでした。
カジノもオペラホールも設計は、あのパリのオペラ・ガルニエ宮を手がけたシャルル・ガルニエ!
Charles Garnier(シャルル・ガルニエ)
(1825年11月6日 - 1898年8月3日)フランスの建築家。
パリ・オペラ座(ガルニエ宮)やモンテカルロの国営カジノの設計で知られる。
現実から切り離された、夢の世界を演出する豪華な装飾に目がくらみますね。
近くに寄ると、ますます美しい。
こうして、モナコはパリより賑わうようになったそうです。
そして、モナコの魅力はなんといっても安心・安全であること。
安心・安全については次回に紹介させていただきますが、モナコは上流階級の人々が安心して「行くべき場所」になったのです。
そして、街がゴミひとつ落ちていなくてとても綺麗でした。
Hôtel de Paris(オテル・ド・パリ)
カジノ広場に面した、美しいアールヌーボー建築の建物が、Hôtel de Paris(オテル・ド・パリ)。
1864年、カジノのお客さんたちが宿泊するために建設されたそうです。
このホテルは「S.B.M」という半官半民の会社によって運営されているそうです。
外観を眺めるだけで中には入っていませんが、天井や壁面に8万枚の金箔が使われているホテル自慢の部屋もあるのだとか。
カジノもホテルも、全てが「一流」であることにこだわるとともに、魔法を切らさないような夢のようなつくりになっているのですね。
ホテル自慢の部屋では、今でも王室や一流企業などが主催するパーティーが連日のように開かれているそうです。
本物のセレブが集まる地域、モンテカルロ。
カジノができなくても、高級ホテルに泊まれなくても、高級レストランで食事ができなくても、雰囲気を味わうだけでもじゅうぶん楽しめますよ!
レストラン入り口の装飾も美しいです。
モナコの高級車
今も昔もカジノのターゲットはリッチな外国人。
なので、高級車ウォッチングも楽しめます。
モンテカルロのカジノ広場に連なる高級車は、彼らのステータスシンボルなのですね。
モナコグランプリのヘアピンカーブ
ダンナさんが、この南フランス旅行で一番楽しみにしていたのがココ。
F1世界選手権レースの一戦「モナコグランプリ」で有名な、Loews Hairpin(ローズヘアピン)です。
F1のことを全然知らない私もこのカーブを見たらテンションが上がりました!


Loews Hairpin(ローズヘアピン)とは
モナコで最も有名なコーナー「ローズヘアピン」
この“ローズ”という名前は、ヘアピンの正面にある建物(TVカメラが設置されている建物)がローズホテルという名前だったことが由来!(ちなみに今はホテル名称が変わっています)
冒頭にも書いていますが、正しくは「Fairmont Hairpin(フェアモント・ヘアピン)」といいます。
モナコグランプリは、モナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われます。
まとめ
モンテカルロ地区は、領土を失って危機に陥ったモナコを救いました。
そして、モナコは更なる飛躍の日を迎えます。
ハリウッド女優、グレース・ケリーがレニエ3世大公との結婚のためにやってきたのです。
メディアは地中海の小国に嫁いだグレースの華麗なる転身を世界に配信し、初めてモナコという国を知った人たちの多くは、おとぎ話のようなロマンチックな物語に熱狂しました。
それにつきましては、次回にたっぷり紹介させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
À bientôt! (またね!)
モナコ公国つづきはこちら
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